地学部 地学教育学会高校生ポスター発表参加、洞爺湖有珠山ジオパーク巡検
地学部の高1生1名と、中3生2名は、8月9日に北海道酪農学園大学(江別市)で行われた地学教育学会の高校生ポスター発表に参加しました。また、10日・11日には洞爺湖有珠山ジオパークを訪れ、地球活動のダイナミズムを肌で感じることができました。いずれも刺激に満ちた有意義な時間となったことと思います。
会場となった酪農学園大学の前
ロープウェイの有珠山山頂駅から昭和新山を見下ろす。灰色のデーサイト質溶岩が高温酸化により赤茶けている。風化して表面がとれると、数十年後には今とは違う灰色の昭和新山になる。溶岩が露出していない部分も、地表面が地下のマグマに押し上げられ、「屋根山」をつくっている
地学教育学会では、日頃の研究成果を集まった方々に見てもらい、有益なアドバイスと刺激をいただくことができました。
代表生徒の名前と発表タイトルは以下のようになっております。
清水彬光(高1)『新宿区おとめ山公園における湧水調査と周辺地下水位の変動予測』
成逸朋(中3)『千葉県富浦地域における地震災害時の避難について』
増田英敏(中3)『酸処理で得られた葛生地域微小腕足動物化石について』
ちなみに、引率教員2名もそれぞれポスター発表を行ってきました。タイトルは以下です。
『千葉県南房総市周辺での地震防災を取り入れた地学部の野外巡検旅行』
『専門的な知識を持った生徒に対する対応と他生徒への波及効果』
ポスター発表する生徒たち
さて、今回の地学教育学会のテーマは「地域に根ざした地学教育のあり方」というもので、シンポジウムでは「北海道のジオパークと地学教育」という発表がありましたが、せっかく北海道まで訪れたので、我々も北海道に5つあるジオパークのうち、特に世界ジオパークに認定されている洞爺湖有珠山ジオパークを巡検することとしました。教室ではわからない本物の自然に触れることができ、また、災害とめぐみ、火山と共生するまちづくりについて考える契機となりました。
火山資料展示室の資料より。2000年に噴火した火口が、いかに市街地に近い場所であったかがわかる。洞爺湖温泉町は温泉によって観光地として栄えている一方、このような危険とも隣り合わせだ
1日目は札幌に泊まり、2日目の朝のバスで洞爺湖温泉町へ。昭和新山の見学のあとロープウェイで有珠山頂へ行きました。そこで火山地形を展望するとともに、外輪山の上を歩き、大有珠、有珠新山、オガリ山、銀沼火口、小有珠を見ました。
外輪山をぐるっと歩いて回ることができる
銀沼火口
小有珠
ロープウェイで降りた後は昭和新山の観測で有名な三松正夫さんに関係する資料を展示している「三松正夫記念館」に行きました。昭和新山はもともと有珠山山麓の畑だった場所が、1943年から45年にかけて隆起し今のようになった火山です。地学の教科書では粘性の高いマグマのつくる火山地形である「溶岩ドーム」の代表例として出てきます。この隆起の様子を当時地元の郵便局長であった三松正夫さんが、手作りの観測機器で毎日観察・記録し、「ミマツダイヤグラム」という図を記しました。これは当時の学界などでも大変な賞賛を受けたようです。実は昭和新山のある土地はこの三松正夫さんが購入しており、国立公園、特別天然記念物でありながら個人の所有となっている珍しい場所です。その三松正夫さんの子どもに当たられる方と、直接この記念館でお話しすることができました。実際に足を運ばなければできないとても貴重な経験です。火山の近くで暮らす人々の生の声が聞けた気がしました。
昭和新山のふもとにある三松正夫さんの銅像。「麦圃生山(ばくほせいざん)」という言葉が刻まれている
三松正夫さんの息子さんからお話を伺う
3日目は2000年に噴火した金毘羅災害遺構散策路と西山山麓の散策路を見学しました。23年ぶりに経て活動再開した有珠山は西山山麓、金毘羅山麓で合わせて60個以上の火口をつくりました。前述のように、洞爺湖温泉町の市街地にとても近い場所での噴火で、住宅や工場、幼稚園などにも多大な被害をもたらしましたが、北大の岡田弘教授を中心とする研究機関と、気象庁との連携、また住民の協力により、日本の防災史上初めて、事前避難を実施しており、一名の犠牲者も出さなかったことで知られています。三松さんは「普段からお世話になっている岡田さんがそう言うんだから、もし外れてもかまわない」という思いが住民の中にはあったとおっしゃっていました。
定期的に活動している有珠山は、噴火前に前兆となる有感地震群を伴うことから、「ウソをつかない山」とも言われます。現在も火山性地震の観測、地殻変動、電磁気など、多項目の観測が継続的に行われており、それらと過去の記録とを照らし合わせることにより可能となった避難だったともいえるでしょう。火山に魅力を感じ、それを伝えながら、火山の恵みを受けて生活する人々。火山を正しく恐れながら対策を行い、火山とともに生きる人々。日本という災害の多い国で生きる上での一つの好事例が見られたと思います。
2000年噴火時の最大の火口である「有ちゃん火口」