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 古典芸能部、新春校外研修第一弾!

海城プレスをご覧の皆様、あけましておめでとうございます。
古典芸能部、新春の校外研修第一弾は、「カンカラ三線(さんしん)」演奏で活躍中の、演歌師にしてミュージシャンである岡大介さんへの芸談取材と公演鑑賞と致しました。

岡さんとは、既報の通り、昨秋、当部が喜劇俳優の水島敏さんにお招きを頂いた芸術祭参加作品「浅草アチャラカ喜劇」を切っ掛けに知己を得ました。その技芸に感銘を受けた我々は即日、芸談取材を要請。めでたくご快諾を頂戴し、今日を迎えました。
まず、「カンカラ三線」(写真1)について紹介いたします。岡さん曰く、「これは元々、太平洋戦争直後の沖縄で生まれた楽器です。当時、米国占領下で、接収を受けたために物資の乏しい中で、せめて音楽は手元に、という人々が、ベッドの木を切って土台とし、パラシュートの生地で弦とし、缶からをつけて楽器としました」とのことです。

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 <写真1>

この楽器を引っ提げて八年になる岡さんは現在三十三歳。「明治大正の演歌」と「昭和歌謡」を中心に、フォーク、ブルースなど幅広く演奏し、そして歌われています。ここでご注目願いたいのは、演歌といっても、「明治大正の」演歌ということです。はて、どういうものだろうか、と思われる方もおみえではないでしょうか。例えば、「東京節」をご存知でしょうか。曲名をご存知なくても「ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ、パリコトパナナデフライフライフライ」の歌です、と言えば、「ああ、あの歌ですか」となる方も少なくないでしょう。そう、これが明治大正期の代表的演歌のひとつです。時に諷刺がピリリと効いているのが特徴で、実は、この東京節からして、田尻稲次郎による当時(大正年間)の東京市政(当時は都に非ず、東京市)を諷刺したものになっているのです。ちなみにこの歌の作詞は添田唖蝉坊・さつき(知道)の父子。岡さんによれば、サビのラメチャンタラ〜が唖蝉坊の作詞とのことです。この唖蝉坊師。演歌師の元祖にして、和製フォーク歌手の始祖と謂うべき人物です。
さて、この日の取材は、まずは浅草ビューホテルで開始。サッカー少年として過ごされた岡さん。二十歳の時に偶然、吉田拓郎さんのフォークソング「人間なんて」に心惹かれて歌うようになり、日本のフォークソングの源流を訪ね訪ねて、辿り着いたのが亜蝉坊師とのこと。
「我が国の父祖伝来の音楽を大切にしたいですね。よく学校の音楽室に音楽家の肖像画が飾ってありますよね。バッハ、ベートーベン、シューベルト、モーツァルト、、、。それはそれで結構なんですが、でも日本の音楽家の肖像画はどうでしょうか。僅かに、滝廉太郎が飾ってあればいい方ではないでしょうか。でも、日本には山田耕筰もいます。私の大好きな中山晋平もいます。中山の曲には野口雨情が素晴らしい詩をつけています。日本の音楽家も枚挙にいとまがないのです。それに何故(洋楽器である)ピアノやオルガンはあるのに笛や太鼓はないのでしょうか。和楽器の素晴らしさは言うまでもないでしょう。こういったことを伝えて行きたいんです」と熱く語る岡さんの目は輝いていました。
明治大正の演歌は、フォーク歌手のなぎら健壱さんや、故高田渡さんらに教わったそうです。またこの方面に造詣の深い永六輔さんにはTBSラジオ出演の際に、また大家的存在である小沢昭一さんには昨年日本武道館で行われた大正百年イベントでの共演の際に、ともに貴重なアドバイスを頂いたそうです。
「とりあえずの目標は、仕事で招かれて四十七の都道府県に行くことです。現在、約三十です。なかなかやり甲斐があります。その末には、海外に招聘されて自分の歌を披露する、それが夢です」と語る岡さん。その夢は早々に実現するはず、と我々一同、強く思った次第です。
世に出た演歌師の系譜を思うとき、唖蝉坊、その子息であるさつき(知道)、石田一松(演歌「のんき節」で一世を風靡。それを武器に後に代議士となる)、そしてその次は、となると(フォーク歌手の方々を措くとすれば)一足飛びにこの岡大介さんとなるのです。
「これが自分のものだ、という他人と違う売り物をもつことを強く考えます」と語られた岡さんのメッセージに一同、強い感銘を受けました。

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 <写真2>

その後、近くのライブハウス「劇亭」に場所を移し、公演を鑑賞いたしました。この日は、アイリッシュバンドの「ジョンジョンフェスティバル」のお三かたとのコラボレーション(写真2。後列左から、アニーさん、ジョンさん、岡大介さん、トシバウロンさん、助っ人の田嶋友輔さん)でした。演歌師とアイリッシュバンドとの融合や如何に、と考えるところですが、演歌師であると同時にミュージシャンの顔もお持ちの岡さん。この二面性を柔軟かつ自在に操り、そしてまたジョンジョンフェスティバルの皆さん、助っ人ドラマーの田嶋友輔さんの高い演奏技術とが相俟って、見事に素晴らしいセッションを堪能させてくださいました。
コラボレーション成功のカギは自己の技芸の充実と、柔軟性にあると勉強になりました。
一人舞台の部では、なんと実に21番まである、唖蝉坊作詞の「金々節」を熱唱されました。この歌詞が実に含蓄に溢れており、これは次号の部誌「河童狸」(3月末刊行予定)で特集を組みたいと考えております。私見ながら、この日の皆さんは、自分たちはこの演奏がしたいんだ、こう演奏せずにはいられないんだ、という感じで、実に楽しく舞台を努めていらっしゃいました。そのケレンや衒いのない舞台に感動しました。
ともあれ岡さん、今日は一日お付きあい頂きまして誠に有難うございました。本年のご活躍を部員一同、心よりお祈り申し上げます。
(古典芸能部顧問)


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