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 文化庁芸術祭参加公演「浅草軽演劇」観劇の記

 既報の通り、映画「ムーランルージュの青春」の上映館であった新宿K’sシネマ(K’sは本校の校章にも似て、縁を感じずにはおれません)のロビーに、古典芸能部ムーラン班の研究報告を掲示頂いておりました。
 その掲示をご覧頂きました、劇団「アチャラカ天風」座長である水島敏様にご来校を賜り、「軽演劇の二大拠点のひとつである新宿ムーランを研究されたのなら、もう一方の雄である浅草アチャラカ喜劇も研究されてはどうでしょうか。ついては、私が座長として出演する、第66回文化庁芸術祭参加作品“浅草アチャラカ喜劇60年ぶりの復活”に部員の皆さんをご招待します」とのお誘いを頂き、10月29日(土)に浅草の東洋館へ観劇して参りました(写真1)。
 ここ浅草東洋館は、国民栄誉賞に輝いた、“フーテンの寅”であまりにも有名な「渥美清」をはじめ、欽ちゃんこと「萩本欽一」、また、昨今では映画監督としても世界的に有名な「ビートたけし」など日本芸能史を彩る数々の笑芸人を輩出している由緒ある劇場です。
 思い起こせば、「エノケン」、「ロッパ」のこの地での活躍はもとより、ムーラン新宿座の支配人であった佐々木千里氏の芸能活動スタートの地もここ浅草(玉木座)です。いわば浅草は日本軽演劇界の母胎と申せましょう。因みに、ここ東洋館は、ムーラン新宿座が閉館した昭和26年にスタートしています(ムーラン閉館との関係、ありやなしや)。

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 <写真1>

 さて、当日は超満員。二百余の客席では足らず、補助席がでる大盛況のなか、水島座長によるアチャラカ喜劇は、3つの芝居と、間に入る色物にて構成。色物は、平成の添田唖蝉坊ともいうべき「岡大介」さん(写真2)のカンカラ三線による風刺歌、「くれない組」のお二人によるこれぞ熱演というべき楽しい漫才でした。
 とりわけ、岡さんの芸は、類型的な芸能史では石田一松(のんき節で一世を風靡。後に代議士。三木武夫首相との交流は有名)で途絶えているとされる一ジャンルの復活ということができ、古典芸能部で探求するテーマであると考え、是非とも芸談をお伺いしたく依頼したところご快諾頂きました。これにつきましては稿を改めてご報告したく存じます。
 本編である三篇の喜劇は、どれも観客を飽きさせることのない、実にスピーディーな展開で、公演時間の1時間40分が瞬く間に過ぎました。なにより、往時の浅草軽演劇に思いを馳せるに十分な楽しいものでした。途中、舞台の水島座長より、部員をご紹介頂き、観客の皆様より拍手と数々の温かな激励を賜りました。
写真1の中央は、我々へ、まさに抱腹絶倒を呼び込んでくださった座員の「服部健治」さんです。
 一座の皆様、そしてなにより水島座長、貴重な体験をさせて頂き、誠に有難うございました。
 
 今日の舞台の詳細につきましては、今月十日発行の古典芸能部部誌「河童狸」(今年度第二号。125ページ)に掲載する予定です。
 ところで、この河童狸。ご笑覧賜っておりますお一人である桂小金治師匠から、海城古典芸能部に輝かしい前途あれ、と激励を頂戴致しました。
小金治師匠、有難うございます。
部員一同、更なる活動の充実を図ることを約す今日この頃です。
                 (古典芸能部顧問)

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 <写真2>


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