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 古典芸能部・ムーラン班調査続報(その1)

本年は、本校開校120周年にあたります。「ムーランルージュ新宿座・海城公演」は伝統ある本校の、いわば「埋もれた海城史」というべきものでありましょう。
我々古典芸能部ムーラン班は、この事実に陽をあてるべく、更なる調査を続けております。
以下は前回掲載したリポートの概要です:
1.ムーラン海城公演は昭和21年11月1日に行われた。
2.机による急ごしらえのステージであった。
3.滝輝江さん、明日待子さん、小柳ナナ子さんが来演された。
これらは公演をご覧になっている本校OBである沖為雄、石川達也両氏のご証言が決め手となりました。
これらを受けて、我々の当座の課題は、
1.招聘者は誰か?そして招聘の背景はなにか?
2.ムーラン海城公演のより詳しい様子
を探ることとしました。


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果たして、昭和21年発行の海城新聞のなかにお名前を発見することのできる方々を中心に、数十人の方々へ電話取材を敢行いたしました。なにぶん65年前のことではありますが、半数以上の方がこの公演を覚えておられ、当時のこの出来事のインパクトの大きさを伺い知ることができました。しかし、65年前であることは厳然たる事実。この時点で、沖、石川両氏のご証言以上の詳細な情報は得られておりませんでした。
それでも、当時の海城の様子は十分に伺い知ることができました。その中で、とりわけ印象深かったのは、沖氏の同期生でいらっしゃる下村徹氏(「次郎物語」の作者・下村湖人氏次男)のご証言「終戦を境に価値観の転換が、ここ海城にも起こり、戦中に武張っていたものの戦後は低姿勢になられた先生がおられたことが子供心にも感じられた」でした。同氏は続けて、「従って、戦後初の文化祭に意気あがる生徒の要請を学校は無下にはねつけることができない雰囲気はあったように記憶している」ともお話されました。このご証言に我々一同が考えたのは、「ムーラン招聘、必ずしも学園ならず。生徒の可能性もあり」ということでした。かくなる推論を立てた我々の頭をふとよぎったのは、昭和21,22,23年あたりの資料ばかりにあたる
のではなく、後年、「回顧録」といった形で書かれている可能性も考慮すべし、でした。
再び資料室へ戻り、昭和30年代の文書や新聞に目を通してみました。が、残念ながらそれを見いだすことはできませんでした。事ここに至って、「公演の事実と公演日の確定ができたことをよしとするか」と、調査からの撤退を考えました。しかし、ここで挫けてなるものか、折角調べ始めたこと、必ず陽の目を見せようぞ、との意欲が再燃いたしました。
その時です。昭和40年2月発行の文芸同人誌「海原」復刊第6号に、浜田裕氏の寄稿「追想」(写真)を見つけた我々は、大衝撃を受けたのです(つづく)。
(古典芸能部顧問)

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