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 古典芸能部 夏の活動報告その3

1、まずは前回ご報告した内容のうち、ムーラン班の取材中、女優「滝輝江」さんからもたらされました“ムーランルージュが本校で公演した”記憶がおありとの件についてご報告致します。
なにぶん、実に60年以上前のことゆえ、滝さん以外のムーラン関係者が覚えていらっしゃらないのもやむを得ないところですが、かくしゃくとされた滝さんのお話から、班員と編集子は公演が事実であることを確信。本校資料室にて調査に入りました。
しかし、膨大な資料を繰ってみてもその事実を記したものはなく、途方に暮れておりました。
そんな中、昭和21年発行の海城新聞に、執筆者(当時の生徒)のお一人である沖為雄氏のお名前を発見。
かつて同窓会新聞「海原」の編集のお手伝いをした経験のある編集子は、そこでの作業にて、同氏のご盛名を存じあげていたため、ご連絡いたしました。
果たして、沖氏から「確かにムーラン公演はありました。私は観劇しています。それは事実です」というご証言を得ました。
興奮歓喜しつつ、公演時期をお伺いしたところ、「それは覚えていないのです。ただ、暑からず寒からずといった季節でした」とのお話。かてて加えて、偶然にも過日、海城の後輩とその話になりましたよ、とのお話。その後輩氏のお名前をお聞きしたところ、平素より本学へ大変なご尽力を頂いております石川達也氏とのことで、
早速、石川氏へご連絡いたしましたところ、「それは昭和21年です。明日待子さんも来られましたよ」とのこと。
実際、明日さんは22年にはムーランを退団され、映画に転出されているので、21年であることまでは判明しました。
何月でしょうか?との問いに、石川氏は、「残念ながらそこまでは覚えていません」とのことでしたが、沖氏のご証言「暑からず寒からずの時期では?」とお尋ねすると
「となると、春か秋ですね。あっ、そうだ。私達が、ベニスの商人をやったときだ。そうです、そのときです」と想起されました。
「ただ、そのベニスの商人をいつやったかは覚えがないのです」とのお答えでした。
「ムーランが海城に来るというので、それはそれは大変な反響でしてね。空襲で講堂が焼失していたために机で舞台を組んでいました。
私は舞台のそばで観劇していたのですが、役者さんたちは踊りにくそうでしたね」との貴重なご証言も飛び出しました。
「終戦後とはいえ、まだまだ硬派な気質の残る先生もおりましてね。日高先生という教練の先生が、(ムーラン公演を)苦虫を潰したような顔で、腕組みしながら見ていたのが印象に残っています」と続けられました。
時代の証言とはまさにこのことと感じいり、沖、石川両氏に深く感謝しつつ、再び資料室へ戻り探索したところ、幸いにもベニスの商人の公演記録を発見。
それによれば、昭和21年11月1日で、この日は開校記念日。
開校55周年を記念して、「芸能祭」との名称で、戦後初の文化祭が行われ、演劇部が「ベニスの商人」と「父帰る」を公演していることが分かりました。
なるほど、暑からず寒からずの時期に合致してもおり、ゆえに、本校でのムーラン公演は昭和21年11月1日と判明した次第です。
これを滝さんにご報告すると、
「よく日にちまで分かりましたね。私が正式入団して1ヶ月しか経っていない時だったのですね。お役に立ててよかったです。海城学園という名前はとても印象的でしたから覚えていたんです」との感想でした。
映画監督田中重幸氏は、「終戦後間もないこの段階で、ベニスの商人を公演する海城魂に感嘆」され、続けて「沖、石川両氏のご証言はまさにドキュメントである」との感想を述べられました。
それにつけても、記録を書き付けておくことの大切さを実感した次第です。
ところで、「ムーラン招聘は一体誰がしたのか?」についてはいかな沖、石川両氏を以てしても判明しておりません。
これは探求に値するテーマでありましょう。班員と編集子の調査は続きます。ご存知の方はご一報願えれば幸甚です。

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(写真は昭和21年11月の芸能際での「ベニスの商人」の公演予定を報じる海城新聞)

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(ムーラン時の滝輝江さん)

2、19日は午前中より、調査と取材を敢行。まず、午前中は気鋭の喜劇研究家である明治大学講師・中野先生のご案内で、ムーランルージュ新宿座跡地および付近のフィールドワークを行いました。
前もって曙橋にある新宿歴史博物館で購入した戦前の新宿南口界隈(旧町名は角筈)の地図との比較などをして、往時を偲びました。

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(写真はムーランルージュ新宿座跡地付近を散策する班員と中野氏)

本校へ戻った後、大正大学客員教授で元参議院議員の野末陳平氏にご来校を賜りました。
野末氏は、ムーランルージュ研究の第一人者であり、氏の研究成果は、通称「野末ノート」として斯界では夙に有名です。
このノートは今後、早稲田大学演劇博物館に所蔵される予定であり、大変貴重なものです。
その著者から伺うムーランルージュの歴史的意義などは貴重かつ大変に説得力あるものであり、充実した講義をして頂きました。
殊に全員の質問を懇切丁寧にご回答くださり感激いたしました。
野末先生、ご多忙の中をお越し頂きまして大変に有難うございます。

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(写真は講義中の野末先生)

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(写真は野末先生とともに)

午後はムーランの大スタアであった小柳ナナ子さんのご令嬢で、ご自身も子役としてムーランの舞台を経験された「奈良典子さん」宅を訪問。
小柳ナナ子さんならびにご自身のムーランでの舞台でのご活躍をお見せ頂きながら、興味深い数々のお話を頂きました。
とりわけ、新国劇や新劇とムーランのシステムの違いをご解説頂き、ムーランだけの研究では判然としなかった幾多の事柄が明快に理解できました。
班員の一人がもらした「これまで聞きかじってきた数々の点が線として繋がった」には一同、つくづく同感。
奈良さん、数々のご厚意を大変に有難うございました。奈良さんのお父上は本校出身者というご縁もあります。

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(写真は小柳ナナ子さん母子。右が幼少時の奈良典子さん)

こうして、ムーラン班の夏の取材は終了いたしました。
芸能史上における新事実もいくつか発見できた班員たち。然るべき時期に「中間報告」をすべく、取材結果のまとめ作業に入ります。
引き続き、研究を継続していく決意を新たにして散会しました。
今夏、数々のご親切を賜り、我々一座に貴重な経験をさせてくださいました田中重幸監督とコーディネーターの細谷隆広氏をはじめとして、取材を快諾いただきました皆様に改めて厚くお礼申し上げます。

3、11日には能楽協会主催の「さわってみよう 能の世界」に四人の部員が参加しました。
参加者のほとんどを占める小学生に交じって、大鼓・鼓・装束着付見学・仕舞を体験できました。
最後は鑑賞で、狂言が「盆山」、能が「高砂 祝言之式」。大変に楽しめる内容でした。
ともあれ、普段、鑑賞する立場である能を実体験でき、有意義な一日となりました。

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(写真は邦楽に親しむ部員たち)

さて、いよいよ夏の棹尾を飾るべく月末での合宿に入ります。
(古典芸能部顧問)


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