古典芸能同好会・後期研修会
12月20日,会員16名教員3名にて後期校外研修会を行いました。今回は五代目古今亭志ん生所演で有名な「黄金餅」のルートを逆に辿る(大まかには麻布〜上野間約14km)散歩をした後,浅草演芸ホールまで足をのばして寄席鑑賞をしました。
9時に南北線麻布十番駅に集合。
スタート地点の絶江坂(写真1)を目指します。
なにぶん,大使館銀座ともいうべき土地柄ゆえ,警備が厳重なのは当然,にしても,我が一行へも「すみません,こちらはどういった“ご集団”でしょうか?」との職務質問にはいささか驚きました。
我々の説明に,笑顔で敬礼され道中の無事を祈って頂きました。
江戸時代,この界隈はいわゆる細民街で,住人の多くが朝に質屋へ釜を持っていき,夕べにそれを貰いうけるといった具合だったので,ついたあだ名が“釜無横丁”。都内有数の閑静な高級住宅街である今日を思えばまさに昔日の感ありです。
スタート後,一帯の起伏はしく,前途多難を感じさせます。平将門由来の一本松を通り,飯倉を抜けて最初の休憩地点である愛宕神社に到着。
ここから勝海舟と西郷隆盛は江戸の街を眺めて,不戦の合意をしたといわれます。境内には二人のパネル(写真2を見ることができます。また,講談「寛永三馬術」の間垣平九郎の故事に名高いこの神社の階段の急斜面には一同驚愕するばかりです(写真3)。
歩をすすめて,土橋を経て11時に銀座へ到着。
ここで少し早い昼食をとりました。歩行者天国ではサンタクロースが街頭宣伝の一人舞台を誇っていました。ここがおよその中間点となります。
程なくして日本橋に到着(写真4)。
高度成長の産物である高速道路という文明が,幕府開闢以来の文化に“ふた”をしてしまった事実,あるいは今回のルートに現れる町名が,例えば下谷山崎町が現在では東上野4丁目に,また芝西久保巴町が虎ノ門3丁目に,といった具合に簡略化されて,表記の便利さが町の風情や趣を奪うことに,我が古典芸能同好会会員も思うところがあるようで,とりわけ「池波正太郎先生が憂いたことはまさにこのことだったんだなぁ・・・」とつぶやいた会員の言葉が印象的でした。
そして須田町から秋葉原を抜け,ついに1時45分台東区役所近くに到着。ここが黄金餅のスタート地点である下谷山崎町近辺です。一杯の充実感とともに記念撮影(写真5)。
しばし休憩の後,合羽橋道具街から田原町を抜けて2時5分に浅草演芸ホールに到着。まずは三遊亭歌之介師匠の「動物園」に爆笑。
ひざがわりでの順子ひろしさんの漫才に至芸を感じました。ひろしさんは御年87とのことでした。主任は柳亭市馬師匠で「(市馬流)狂歌家主」。
往年の大歌手三橋美智也さんのヒットメドレー沢山の噺に,おそらくは三橋さんを知らない会員たちですが,大いに湧いていました。
知らないことでも湧かすことのできる力。
これ,芸の力と言わずしてなんとするのでしょうか。記念撮影(写真6)の後,4時40分解散。
浅草駅への道すがら,仲見世でははや正月を待つお飾りが風に揺らめいており,一同,年の瀬を感じつつ帰途につきました。
(古典芸能同好会顧問)