高2沖縄修学旅行
〜第1隊・第2隊とも大きな病気や怪我もなく、一人一人の気遣いと協力によって成功裡に終わる〜
高2沖縄修学旅行は、第1隊が10月21日(日)から25日(木)まで、第2隊が10月23日(火)から27日(土)までと、2つに分かれて実施されました。
第1日目は、「ひめゆり資料館」「平和祈念資料館」「糸数壕・轟の壕・クラシンジョウ(ガマ)」を中心に南部戦跡をクラス毎に見学。
第2日目は、班別タクシー研修です。班ごとにタクシーに乗車して、運転手さんにガイドしてもらいながら、自分たちで計画したスポットを1日がかりで見学しました。
第3日目は、クラスごとの選択で、清流トレッキング・貝獲り漁・船釣り・シーカヤック・ヌチシヌジガマ見学を行いました。また、早くホテルに着いたクラスから、プライベートビーチでの海水浴を楽しみました。
第4日目は、修学旅行のメインの1つであるマリンスポーツです。船で伊江島に渡って、ダイビング・シューノケリング・ドラゴンボート・マリンジェット・シーカヤック・伊江島サイクリングを個人選択で実施しました。
最終日は、首里城を見学した後、国際通りの班別自主研修をして、無事、東京の帰路へとつきました。
[1首里城]
以下、それぞれのコースについて、生徒からの文章を掲載します。
<南部戦跡・ひめゆりの塔> 8組 Y.S
壁に並ぶ少女たちの顔写真。沖縄戦に直接関わらざるを得なかった彼女たちが残したレクイエム。僕たちと同年齢で散った人生。室内にかもし出される雰囲気に、よけいなことは口にしてはいけない気がして、少し怖かった。だが、沖縄戦の当事者は、その何十倍もの恐怖を感じたことだろう。
沖縄戦に関する知識の大切さはもちろん、ひめゆりの塔で感じたこの感覚は、いつまでも忘れてはいけないと、自分の記憶の底に蓄積されたような気がした。
<轟の壕> 1組 H.K
ガマの闇。
まだ昼の1時を回ったばかりだ。しかし、そこにはすべてを覆いつくし、飲み込んでしまう迫力をもった深い闇があった。
戦時中、<轟の壕>と名づけられた洞穴には、多くの負傷兵が担ぎこまれた。「お国のために」を合言葉に、自らの身体を犠牲にしてまで戦った兵士の姿は悲惨なものだったという。足はもげ、傷口には膿がたまり、無数のウジ虫がたかって傷口は真っ黒になった。
そこで看護していた女子学生の手記に、次のようなものがあった。
「初めは傷ついた兵士を見るたびに吐き気がした。伝染病を防ぐために手足を切断しなければならなかったが、それがどうしてもできなかった。しかし、暗闇の中で、長い時間負傷兵を見ていると、そんな気持ちはどこかへ飛んでいってしまった。そのうち当たり前のように手足を切断し、それを自分の手で運ぶことができるようになった」と。
他人の手足を何の恐れも無く切断できるようになる極限状況。僕はそれを考えた時、鳥肌がたった。
僕たちが経験したことの無い戦争。今まで僕の頭の中に漠然としてしか存在していなかったイメージに、はっきりと色がついた瞬間だった。人の心を盲目にし、すべてを暗闇にする黒い闇。
そこに今回、僕たちが学んだ<楽しい修学旅行>のもう一つの側面がある。
<タクシー自主研修> 5組 K.T
タクシーの運転手のおじさんは、沖縄の方言で一生懸命話してくれた。米軍基地の話だとか、沖縄の絶景ポイントとかを説明してくれるのだが、正直言って何を言っているかよくわからない。それでも運転手席の隣に座っている役割上、僕は「あー」とか「へぇー」とか、うなずくしかなかった。でも、おじさんは、最後の最後になって「何言っているかわかった?」と、急に聞くものだから、つい、正直に「わかんなかったです」と答えてしまったら、おじさんは楽しそうに、大きな声で笑った。
考えてみれば、沖縄でまともに話した人は、この運転手のおじさんだけだったので、会話はよく通じなかったけれど、あそこに流れていた暖かな空気だけは、今になって、僕の心の中に深く刻まれている。
<清流トレッキング> 6組 K.K
底が見えるほど透き通った清流を、その冷たさを肌で感じながら、滝つぼを目指して、岩肌を上って行く。
清流の上では、これまで見たこともない蝶が舞っているのを眺める。不思議と心が落ち着いてくる。滝つぼに着くと、すかざず水着に着替えて飛び込んだ。思いっきり大声で叫んで、はしゃいで、自然の楽しさを満喫した。東京では決して味わうことができない体験ができて、満足している。
<船釣り> 3組 A.A
十数人乗りの小さな漁船で風を切って、僕たちは沖へと向かった。大漁を目指し、意気込んで乗船した僕たちだったが、現実は甘くなかった。小さな船は、大波に影響を受け、激しく揺れるのだ。その結果、船酔い者が続出。陸にある休憩所には、ギブアップした人たちで「野戦病院」と化していた。
しかし、船上は大漁の嵐だった。船酔いに何とか耐えながらも、残った人たちで、沖縄特有の色鮮やかな魚を次々と釣り上げる。2時間後、100尾以上の魚と共に、僕たちは凱旋した。
その後、調理してくれた魚に、みんなで仲良く舌鼓を打ち、満足感に浸りながらも思ったことは、「でも次からは、陸つりがいいな」ということだった。
<貝獲り漁> 8組 S.N
陸に戻ってから、一体いくつ貝を食べたことだろう。
貝獲り漁では、潜って貝をとるだけでなく、魚に餌付けをすることもできる。イソギンチャクと共にいるクマノミや青と黄色の鮮やかな色をした魚たち。その1つ1つに目を奪われた。
でもやっぱり一番の思い出は、取ったばかりの貝が、新鮮で、言葉に表せないほどおいしかったことである。
<シーカヤック〜その1〜> 7組 T.Y
「海の底が見える」。これは僕がシーカヤックに乗った最初の感想だ。何色もの微妙な違いを見せつける青の世界。漕ぐことを忘れてしまうほど美しい。
一緒にペアを組んでいたY君と漕いで行くのだが、カヤックそのものがよく揺れるために、左右へのコントロールがままならない。ペアの中には転倒してしまうカヤックもあった。岸へ戻る時も、インストラクターのアドバイスを受けなければならなかった。でも夢中だった。漕ぐのに疲れてはいたが、それ以上に「楽しかった」の一言に尽きる。
<シーカヤック〜その2〜> 4組 T.O
シーカヤックは簡単そうに見えるが、全身のリズムを取りながら、腕を中心に激しく使うスポーツだ。
調子に乗って沖の方に漕いでいくと、途端に戻れなくなった。場所によって大きく変化する潮の流れのせいだろう。掻いていく水が重くて、一向に前に進まない。幸いインストラクターに助けてもらったが、自力で脱出できなかったことが、今では悔しい思い出になっている。
<エイサー鑑賞・体験> 3組 Y.Y
最初は夕食後の「余興」程度だと考えていた。ホテルの外の中庭でエイサーを鑑賞することすら忘れていたくらいである。正直いうとエイサーに関する知識など全くないに等しく、沖縄の伝統的な踊りであることを、以前テレビで見て知っていただけだった。
だが、結論から言うと、エイサー体験は自分にとってとても貴重な経験になった。
パワフルに舞い、太鼓をたたく沖縄の男たちのエネルギーに圧倒された。「ドンドン」と胸に重く響く太鼓の音や「ソイヤー」の掛け声。その力強い1つ1つの動きに、目も耳も心も釘づけになった。
幸運にも僕は、エイサーを体験することができた。太鼓を持ち、即席で教えていただいたエイサーを見よう見まねで踊ってみる。初めこそ目の前にいる人の動きに遅れをとらないように必死だったが、慣れてくると余裕が出てきた。見ているだけではわからない「体で感じる」面白さを満喫できたと思う。
お盆の時期に踊られるエイサー。故郷に帰ってくる霊を<近しい人々>と同じように差別なく迎え入れ、元気に送り出して行くという<勇壮な優しさ>を、沖縄の人々はずっと大切にしてきたのだなと強く実感できた。
<ダイビング体験〜その1〜> 9組 S.K
修学旅行4日目はマリンスポーツの日だ。澄み切った快晴の下で、全身を締めつけるようなダイビングスーツを何とか着けて、船に乗り込んだ。沖までいくと停泊した。いよいよスタートだ。船の端に腰をおろし、インストラクターに指示を仰ぎながら酸素ボンベを装着する。海中で1回転する要領で、背中から海に落ちる。海に入ると、酸素ボンベの重さを全く感じなくなった。インストラクターが1人ずつ付いてくれる。透き通った海の中をインストラクターの案内で、様々な生き物を見ることができて、本当に感動した。
<ダイビング体験〜その2〜> 1組 N.H
自然は雄大だった。ダイビングで潜った海の水は、どこまでも見通せる。目と鼻の先には海底を埋め尽くすほどのサンゴが広がり、色とりどりの魚たちが、僕たちを全く気にも留めずに泳ぎまわっていた。
果てしない<美ら海>の中での「僕たち」は、自然のほんの1部にすぎない「ちっぽけな存在」だということを改めて感じさせてくれたダイビング体験だった。
<シュノーケリング> 2組 Y.S
シュノーケリングは希望者の人数が少なかった。その分、一人一人が楽しめる割合は高かったのだが、ライフジャケットを付けていたので、潜ることができずに少々もの足りなさを感じた。
真っ黒に日焼けしたインストラクターから、フィンの付け方、潜水メガネの付け方を教えてもらう。僕たちが入った海は、深さ10m程の透き通った所で、海底の砂の白さが海面からも見ることができるほどだった。インストラクターが海底から貝やナマコを取ってきた。静かに触ってみる。ふと周りを見ると、学校の机の大きさもあるウミガメが、海底を優雅に泳いでいた。
1つだけ残念だったのは、サンゴの色が単色だったことだ。その単一な彩りは、海全体の活気を削いでいた。僕が記憶していた沖縄の海は、黄色や赤などカラフルなサンゴが海底を華やかに色づけ、海面をキラキラと輝かせていたはずだった。
環境破壊の手が、確実にここ沖縄にも延びてきていることを実感させる今回の修学旅行でもあった。
<ドラゴンボート> 2組 H.S
想像していたよりも、はるかに速い空間に僕はいた。
修学旅行4日目。ドラゴンボートに乗った時のことだ。景色がものすごいスピードで後ろに飛んでいく。
ドラゴンボートとは、8人ないし5人を乗せたボートを、マリンジェットが猛スピードで左右に蛇行しながら、波を2つに切り裂いて引っ張っていくマリンスポーツだ。
カーブに入った瞬間、テンションの上がった男たちの体が宙に舞った。沖の激しい波の中に投げ出された僕たちは、高揚感の中でもがいていた。
ボートに上がろうとするが、みんなで一方向から一斉に上がろうとするとうまくいかない。声を掛け合って、上がる方向を工夫する。協力してようやく全員、ボートに乗ることができた。なぜかみんな笑顔だった。
<マリンジェット> 7組 Y.H
マリンスポーツ。沖縄といえばやはりこれだ。私は特にマリンジェットが印象に残っている。
マリンジェットとは、海上を2人乗りの水上バイクに乗って、時速80キロ以上のスピードで走るというものである。インストラクターが、水上バイクを右に左へと蛇行させる。大波に猛スピードで挑み、高くジャンプする。今にも振り落とされるような激しいスリルを味わう。「海に落ちる人はいないから大丈夫」とインストラクターが言ってくれるのだが、信じられないくらいのドキドキ感だった。必死に背中にしがみついて、やっとの思いでこの10分間を終えた。終わるとまた無性に乗りたくなるのが不思議だった。
<ホテル> 5組 T.B
最初の宿泊先であった「ザ・ビーチタワー沖縄」は20階以上の高さがあり、フロアー中央には巨大な吹き抜けを施した開放感のあるホテルだ。
1階のエントランスやロビーには、「沖縄の民芸品」を売る出店が並び、「沖縄らしさ」を演出していた。僕たちが使用した部屋は7階の角部屋だった。窓も広く取られており、特に浴室からは夜景が全面眺められるようになっていた。くつろげる空間として工夫されていたように思う。
3・4日目に泊まった「サンマリーナホテル」は、プライベート・ビーチやプールなどが完備しているリゾートホテルだ。3日目には僕たちも、プライベート・ビーチで遊ぶことができた。朝・夕食ともバイキング形式であったが、食い盛りの高校生にとってはありがたかった。両ホテルで世話をしていただいた方の配慮に感謝したい。
<沖縄の食べもの> 9組 K.K
沖縄といえばこれまで長寿県として有名だった。東京と異なり、「沖縄タイム」といわれるゆったり流れる時間や地域で助け合う緊密な人間関係が、長寿の要因の1つとしてあげられることが多いが、やはり食べ物を落とすことはできない。
食べ物は野菜中心かと思っていたら、意外にも豚肉のバリエーションが多かった。ホテルの食事にも出されたが、角煮のラフテー、あばら骨の部分をじっくり煮込んだソーキ、豚の耳であるミミガーなどが有名だ。沖縄の人は、食べるためにつぶした豚を決して無駄にせずに、頭から足先まで料理に使用するという。基本的には、じっくりと煮込む調理法が多いために、脂身が多い豚肉でもよけいな脂肪分を抜くことができる。それが健康の秘訣というわけだ。確かに見た目以上に食べやすかった。
ゴーヤという苦みのある野菜と肉料理とのコンビネーションが沖縄の長寿を支えていると思った。
<修学旅行を終えて> 3組 N.S
修学旅行実行委員長のN.Sです。まず、今回の修学旅行は第1隊・第2隊ともに参加者全員が笑顔で帰って来れたことについて、大成功だったと評価したいと思います。
少しの怪我や体調不良も、自分たちの強い気持ちで吹き飛ばしてくれました。これも「すべての日程を前向きに、積極的にこなして悔いのないものにしよう」という旅行前の実行委員のアピールをしっかり受けとめてくれた結果だと、とても嬉しく思っています。
僕個人としても修学旅行は「楽しかった」の一言につきます。ドラゴンボートのスピード感に酔いしれ、沖の高波を受けながら全員で飛び込んだ一体感。夜、長時間、いろいろな友達と話せたこと、騒いだことなど思い出は尽きません。
実行委員会としては、起床時間前にみんなを起こして回ったことくらいしかできませんでしたが、ご協力ありがとうございました。
高2の修学旅行も終わり、次の目標にみんなと力をあわせて進みたいです。